❐ x68000「天下統一」豊後大友家の九州統一まで

大友義鎮

 

大友宗麟の名の方が通ってる、豊後の戦国・キリシタン大名です。

「宗麟」とは法号で、武田晴信の「信玄」とか上杉政虎の「不識庵謙信(不識庵は自分で名乗った)」と一緒で、出家した時に高層から頂く、アリガタイお名前です。

 

大友義鎮は1562年に出家していますが、後に洗礼を受けてキリシタンになり、「ドン・フランシスコ」にもなったという、一風変わった人物として有名なのですが、コレは九州の名門でもある大友家ですので、寺社も蔑ろにすれば、織田信長が一番苦戦した、一向一揆のような反乱が起きかねないので、寺社も庇護しつつ、本人はキリスト教の布教を認め、キリシタンになった次第です。

 

宗麟とえいば、薩摩の島津家の大攻勢の前に合戦では敗戦を重ね、最後は豊臣秀吉に助けを乞う(この事により、秀吉による九州征伐が始まる)て、なんとか体面を保った程度しか知られていないと思いますが、実は自身の類まれなる外交能力を駆使し、戸次鑑連(立花道雪)、吉弘鎮理(高橋紹運)、立花宗茂(父は高橋紹運、義父は立花道雪)という強力な家臣団を擁し、九州6カ国を領有した事もあります。

 

ただ、この人、若い頃は家臣の奥さんをNTRし、美女を探しに京の都に行ったりと好色を好み、酒に溺れて政治しない等、結構な暴君だったので、重臣の戸次鑑連は、もうブチギレ同然で家臣という立場を忘れて、激しく諌めていたそうです。

現在、宗麟に定着している熱心なキリスト教信者というイメージは、かつての大友家の繁栄は終焉しているのに、九州にキリシタン、特に傾倒していた欧州文化の国を作ろうと邁進した後半生の姿ですね。

家臣が呆れて離反しそうなぐらい熱心なキリシタンだったようですよ?

 

「天下統一」の場合、大友宗麟は九州三国志の一翼を担う大名家ですので、スタート時点で豊後一国を領有していますが、宗麟以外は兵力を5しか持っていないので、とてもではないですが合戦には出られません。

 

大友宗麟の武将で役に立ちそうな武将は、立花道雪(武15、政8)、佐伯惟教(武11、政4)ぐらいですが、佐伯惟教は53歳という高齢なのですぐ死にます。

あとは吉弘鑑理、田北鑑生、田原親宏がいますが、武8~9なのでソコソコは使えますが、大友家は九州三国志の3家では最弱なので、編成値が九州勢としては低い「60」しかありませんから、立花道雪でも薩摩島津の伊集院忠朗(武11)に苦戦します。

 

「天下統一」における大友宗麟ですが、孫氏「疾きこと風の如し」を実践し、疾風の如く、九州を統一する必要がありますので、基本方針は以下の通りになります。

 

・小大名になる前に肥前龍造寺家を叩く

 (小大名になると兵力を抱えるので無駄な合戦が増える)

・薩摩島津が大隅を統一する前に叩く

 (理想は薩摩を統一した頃に薩摩に雪崩込む)

 

まず、大友家は隣国の筑後を攻めますが、隣接している筑後久留米城は城防御が12と、スタート時の大友家の兵力では落とすのに時間がかかります。

それに大友家は脳筋、微妙な武将ばかりで、知将が1人もいないし、今後も豊後には脳筋かボンクラしか出現しないので、とにかく兵力で落とすしかありませんが、宗麟だけ兵が10で、後は5しかもっていないので、初めのターンでは宗麟に兵を集中させます。

立花道雪、佐伯惟教以外の武将を引き連れて久留米城に攻め込みますが、落とすのに2~3ターンかかりますので、その間、立花道雪、佐伯惟教の兵力を15にしましょう。

 

久留米城を落としたら、柳川城五箇山城の独立勢力を引き抜いて下さい。

久留米城を落としたら、筑後の攻略は一旦、終了だからです。

柳川城:城防御11、五箇山城:城防御12は序盤の少ない兵力では堅城になるので、ご丁寧に順番通りに城を落としていたら、龍造寺隆信は小大名になるし、薩摩に攻め込んだ時、島津は大隅を併呑しているので、倒すのに時間がかかってしまいます。

CPUの大友家がたいてい龍造寺家に駆逐される理由は、筑後の城をご丁寧に順番通りに落としているから、龍造寺家に肥前統一への時間を与えてしまっているからです。

それに筑後の城は堅城だらけなので、少ない兵力でも一国に武将を集めてしまうので、いつまで経っても武力の高い武将に兵力を集中させる事が不可能になるので、少ない兵力で士気値の高い龍造寺家と戦う必要が出てしまうのです。

だから、CPU大友家は竜造寺家に駆逐されます。

 

久留米城を空にして、そのまま竜造寺家の本拠である肥前に攻め込みますので、独立勢力がいると全ての戦力で肥前に攻め込む事が不可能となりますので、武4だけど兵15の筑後惟門、武5なのに兵15の蒲池鑑盛を引き抜きます。

 

久留米城を落とした時点で、立花道雪の兵力も15になってますので、宗麟、道雪、引き抜いたボンクラ武将を引き連れ、肥前の勢福寺城に攻め込みますが、この時点で龍造寺隆信は城を3城ほどしか専有していないと思いますので、まず肥前が統一されている事はありえないので、ユックリと順番に城を落としましょう。

 

宗麟は4人で60の兵を率いている(佐伯惟教も参加する)ので、龍造寺隆信と戦う事はないと思いますが、もし戦闘になったら、武13だし、兵力を抱えている龍造寺隆信とは正面からブツカラずに、弱い武将に立花道雪をアテて、突撃しまくってください。

竜造寺家は編成値が70と大友家より格上ですが、まだ余裕で勝てますので、戦闘になったら大友家の編成値を育てるチャンスだと逆に考えて下さい。

 

まぁ、こんな地図上ではこんな感じになります。

 

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肥前の国を手に入れたら、島原城から肥後の八代城に侵攻します。

上村家の本拠ですが、上村頼孝は戦わずに人吉城に退却するので、城は難なく落ちますし、籠城されても落城させるのは簡単なので、特に何も気にしないで下さい。

八代城を落としたら、堅志田城の甲斐宗運(武13)を引き抜いて下さい。

兵力がそのまま温存されているハズの筑後惟門、蒲池鑑盛の兵30を八代城に置いておけば独立勢力は攻めて来ないし、大隅城に逃げた上村家も攻めてこないので、宗麟、立花道雪、佐伯惟教、以下、兵15の武将を引き連れて、薩摩の出水城に攻め込みます。

 

どんなに急いでも、龍造寺を滅ぼした頃、島津家は薩摩を統一していると思いますし、武将を揃えて待ち構えているので、ほぼ100%、島津と戦闘に突入します。

薩摩島津家は編成値が最強の90と大友家とは30も離れているので、いきなりラスボス戦に突入という感じですが、安心してください。

兵力で圧倒していますので、多少の犠牲はでますが、島津家は大友家の編成値を育てるボーナスステージと化していますし、島津忠将(武11)、伊集院忠朗(武11)を引き抜いてしまえば、もう島津義久(武9)、伊集院忠倉(武9)ぐらいしか敵はいないので、立花道雪が蹴散らしてくれます。

 

ただ、島津家の武将は士気値が異常に高いので、いくら突撃しても島津家の武将はなかなか士気値が0になり、敗走してくれないので、気が付いたら逆転されてる?なんて事がありますので、慎重に戦って下さい。

 

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薩摩島津を滅ぼしたら、あとは肥後、城が2つ残ってる筑後筑前豊前を落とせば九州の統一は完了ですので、中国を席巻しているだろう、毛利または陶と戦って、京に上るだけなので、あとは楽チンです。

 

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なお、筑後で拾った筑後惟門、蒲池鑑盛は武力は低いし、使いみちがないから用済みなので、筑後の城を強襲させて討ち死にさせちゃって下さい。

跡継ぎのボンクラ、大友義長が出てきてたらセットで討ち死にさせて下さい。

 

九州統一までの大友家の外交は好き好きでいいと思います。

毛利なり、陶が中国地方の主役となりますが、九州にちょっかいを出さないのであれば、同盟はいらないと思います。

 

薩摩島津さえ倒してしまえば、あとは流れ作業で九州を統一するだけですので、九州に毛利、または陶が雪崩込んでも、一隊は毛利、陶に対する防御ラインとし、二隊は九州統一部隊として、二正面作戦が可能になってますから、やはり同盟はいらないでしょう。

ただ、毛利が疾風のように陶を駆逐し、そのまま九州に雪崩込んできた場合は同盟を考える必要があると思います。

豊前は取られてしまうだろうけど、どうせ元就はすぐ死ぬから(笑

 

薩摩島津の場合、毛利と同程度の戦力の場合でも毛利は退却する事がありますが、大友だと舐められてるのか?不明ですが、同程度どころか、戦力が下回っていてもバトルになりますので、士気値が上がりますよ。

毛利、陶の編成値は50です。

 

以上で、大友家の九州統一までを書きましたが、筑後の扱いは肥前龍造寺家でも同じです。

龍造寺隆信肥前を統一する頃には、豊後大友家が筑後久留米城を落としていますが、奪ったらそのまま豊後に雪崩込んで、大友家を駆逐しちゃってください。

その後は、島原城から肥後に雪崩込んでもいいし、そのまま日向、大隅、薩摩へと進撃しても構わないです。